「無知」でいることへの怖さ
andu ametで過ごす中で、もう1つ強く印象に残っているのが、「無知であること」への恐怖を感じた経験です。
国際情勢に関心があり、情報を追っているつもりでいた私にとって、鮫島さんが執筆されたブログ「エチオピアの戦争と、見えない傷あと」は衝撃的なものでした。
エチオピアの内戦について、「遠い国で起きている出来事」として、どこか抽象的に捉えていた自分がいました。しかし、工房で働くスタッフの家族が強制的に徴兵され、戦地から戻った後も深刻なPTSDを抱えて生活していること。幼い子どもを育てながら、精神的に傷ついた夫の帰還を待ち続けた家族のこと。その一つひとつのエピソードに触れたとき、戦争が決して過去のニュースでも、数字の話でもないことを突きつけられました。
また、鮫島さんがエチオピアの現状について直接お話ししてくださることがあります。現地で暮らし、働いてきた方の言葉として語られる出来事は、記事やニュースで読む情報とはまったく違う重みを感じます。工房の運営を続けることの難しさや、日常の中に戦争の影響がどれほど深く入り込んでいるかを聞くたびに、自分がこれまで見てきた世界の一部が、いかに限られたものだったかを思い知らされます。
もしandu ametに関わっていなければ、こうした現実を知らないまま生きていたかもしれない。そう思ったとき、「知らないこと」そのものよりも、「知らないままでいられてしまう自分」に、怖さを感じました。