名前はT。
ひげを生やしてはいるけれど、笑うとまだ幼さの残るその横顔から量るに年の頃は二十歳かちょっとすぎたくらいか。でも正確には誰もわからない。彼はほんの数年前まで、いわゆるストリートチルドレンだった。戸籍などない。
幼い頃に傷害事件を起こし、そのまま逃げるように故郷を去って以来色々な町を点々としながら生きてきた。物乞いをしたり、時には悪事を働くこともあった。生きて行くためにはなんでもした。
首都アディスアベバにたどり着いたとき、とあるNGOの支援で、指定のレザー学校に通えばその間生活費をもらえると聞きつけ、飛びついた。今から7−8年前のことだ。はじめは金欲しさだったが、通う内にもの作りのおもしろさに魅せられるようになり、一年後には、生徒の中でもトップクラスの腕前になっていた。
卒業後、彼は町で仕事を探した。しかし、大卒でも就職難のエチオピア。彼らのようなバックグラウンドの人間を雇用してくれる企業はなかった。多くの元クラスメートが次々とストリートへ戻り、犯罪に手を染めたり物乞いをしたりするようになった。
彼がとある革メーカーの工房に採用されたのは、卒業して随分だってからのことだった。はじめの内は、一般的な初任給の10分の1くらいの給与だったが、熱心に働いた。人として認められる喜びを初めて知った。腕が上がるに連れ給与も少しずつ上がっていき、やっと人並みか、それよりほんの少し下くらいの生活ができるようになった6年目の冬、その会社が倒産した。
他に自分を雇ってくれるところがあると思えなかった。自分のミシンを買って、小さな店をはじめるほどの貯金も持っていなかった。家賃も滞納しはじめた。またストリートでの生活に戻るしかない。そう思いはじめた矢先、ある外国人が腕のいい職人を探していると聞き、ダメもとで会いにいった。
以上の話は、本人から直接聞いたのではなく、彼をよく知るある人から少しずつ聞いた話をまとめたものだ。
はじめて彼に会ったときのことを、私はよく覚えている。無口でぶっきらぼうな上、私がわからないと思ったのか現地語で暴言をはいていた。内心なんてやつだと思っていたのだが、いざ目の前で作らせてみたとたん、その仕事の丁寧なことに驚かされた。線はまっすぐ。接合部分はぴったり。一見当たり前に思われるかもしれないが、エチオピアでそれができる人はそれほど多くない。私は彼に、ぜひ自分たちの力になって欲しいと頼んだ。無愛想な彼が初めて、ちょっとだけ嬉しそうに笑ってくれた。
彼は今、毎日andu ametの試作を作っている。相変わらず暴言をはいたり、舌打ちしたり、時にはお金の無心をしてきたり、お世辞にも品行方正とはいえないが、作るものは他のスタッフと比べても完成度が高い。必要があれば日曜日も厭わず仕事をしてくれる。ある時、こちらの素材調達などが間に合わず、仕事をあげられない日があったのだが、彼の愚痴と舌打ちは一日中続いた。彼は仕事がしたいのだ。仕事のないつらさをずっと味わってきたのだ。彼を二度とストリートに戻してはいけない。改めて自分の責任の重さを感じた。
ちなみに、件のレザー学校のクラスメートで、今も職人として自立している人は彼を含めて3人しかいないそうだ。
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