靴磨きの少年のはなし

エチオピアには靴磨きの少年がたくさんいます。
空き缶に川の水をくんで、難く絞ったぞうきんで靴の泥を拭き、ピカピカに磨き上げると2~3ブル(1ブル約5円)。
空きカンとボロ布があればはじめられるので、親のない子や極貧の家の子たちの多くは、ここからキャリアをスタートさせます。
そうやって少しずつ稼いだお金をもとでに、ブラシや靴クリーム、靴をのせる台、お客さんのためのパラソルなど少しずつ買い足していくと1回5~10ブル稼げるようになります。

エチオピアには物乞いもたくさん多いのですが、そうではなく、自分たちの力で生きようとしている彼らを見るといつも勇気をもらえるので、私も靴が汚れたらできるだけ磨いてもらうようにしています。
今日は友人から聞いた、そんな靴磨きの少年の話をひとつご紹介します。

今から20年ほど前、友人の家の近くに一人の靴磨きの少年がいました。
着ているものは祖末ながらもいつも清潔に洗濯されており、仕事も丁寧なので
友人のお父さんはいつも彼をひいきにして、どこか違う場所で靴が汚れても、その少年のいる場所へいって靴を磨いてもらっていたそうです。それがきっかけで家族ぐるみでその少年と顔見知りになっていきました。

それから何年かたったある日、友人の妹さんがある英語学校を訪れたら、教室のはじっこに、なんとなじみのその靴磨きの少年がいて、熱心に授業を受けていました。
聞けば、学校でクリーナーとして働くようになり、やがて勤勉な態度が認められてただで授業を受けさせてもらえることになったのだとか。



そこからさらに数年後、今度は友人自身が偶然ミニバスの中で彼と隣り合わせに。
聞けば、達者になった語学力を活かして今はヒルトンホテルのドアマンとして働いているとのこと。
当時のヒルトンは、国内きっての超一流ホテルで、そこで働くということはかなりのステイタスだったはずでしたが、彼はそんな気配は微塵もみせず、相変わらず清潔な服をきて、感じよく、世間話の中で、ホテルに滞在しているアルゼンチン人のお客さんに気に入られて、時々ダンスを教わっていると話したそうです。

それからまたまた数年後の今。
彼はエチオピアのタンゴダンサーとして、そしてタンゴをエチオピアに広めた第一人者として、当地で知らぬ人はいないほどの有名人になっています。
多くの劇場や高級ホテルでショーを開催しているほか、ダンススクールの経営もしています。

話だけきくとハリウッド映画なみのサクセスストーリーですが、この国で簡単にいくことなどなにひとつありません。
靴磨きのときにそうだったように、英語学校でもヒルトンホテルでも、そしてダンスの世界でも人一倍熱心に努力して、そして今の成功をつかんだのだのでしょう。
そんな彼の活躍をテレビや新聞で見るたびに、友人は幸せな気持ちになるそうです。