MUYA

アトリエとしてこの建物に入居してから、もう直ぐ2年になります。この建物には私たちが入居する前から、”門番”としてもともと住み込んでいた少年がいました。(エチオピアでは治安上の理由から、会社や家に住み込みの門番がいるのが一般的。)

学校へ行ったことがなく、文字の読み書きなどはできないけれど、若いし、毎朝鍛えていて、腕っ節には自信があるとのこと。門番としては申し分ありません。私は、入居後も彼を雇うことにしました。

ところが…。
アトリエの営業が始まった数日後。ふと目をやると、門番であるはずの彼が持ち場のゲートを勝手に離れ、家の中に入り、職人たちのすぐ近くにピタッと居座り彼らの仕事の様子を瞬きもせずに見ているのです。

「こらこら!勝手に入ってきちゃダメでしょ。門番(watchman)さんなんだから、ちゃんとゲートをwatchしてなきゃ」と言うと「わかったわかった」とすぐに持ち場に戻るけれど、1、2時間後にふと見ると、また、勝手に職人の傍に戻ってきて彼らの仕事を見つめています。職人の仕事なんて見たことがないので、珍しいのでしょう。一枚の革が少しずつ立体的な形になっていくのが面白かったのかもしれません。

数日の間、追い返しては勝手に戻ってくるのを繰り返した後「職人の仕事にそんなに興味があるなら、やってみる?」と聞くと、嬉しそうに頷きます。「それじゃあ下積みからよ。いきなり皆みたいに上手になれるわけじゃないからね。それと、夜泥棒が来たら、それはちゃんとやっつけるのよ。わかった?」「昼は言われたこと何でもやるし、夜も泥棒をやっつけるから教えて!!」

OJTはハサミやカッターナイフの持ち方から始まりました。そもそも、机に座り続けるということも、ここまで細かく人に指示されながら何かをするということも初めて。ずっと自由に生きてきたので、人とのコミュニケーションがうまくいかず、はじめの頃は若い他の職人たちと喧嘩することもしばしばでした。

それでも、内心私は「いけるかもしれない」と思っていました。練習の為に切った芯材の端を、言われなくてもきちんと揃えるし(多くのエチオピア人はそういうことはしない)、それにとにかく、作業をしている時の集中力が半端なかったのです。

芯材の裁断、アイロンがけ、組み立て…先輩職人のもとで、アシスタントをしながら少しずつ新しい仕事を覚えていきます。
毎日集中しているせいか、夜はどっと疲れて爆睡してしまうようで、やはり門番の仕事はとても勤まりません。かといって、新たな門番を入れるためには、住み込みの彼を追い出さなくてはならず、それは気の毒なので、代わりに番犬を飼うことに。(結局、飼ったその犬が人懐こくて、全く番犬にならなかったのですが、それはまた別の話)

教育を受けたことも、会社勤めをしたこともない彼でしたがが、「いけるかもしれない」というはじめのヨミは当たり、着実に仕事を覚えていきました。彼が作るものは小さなパーツでも丁寧で、いつも端がピシッとしていました。

実は一度だけ、彼がアトリエの大切なルールを破ったので、「そんなことをするなら、もう二度とこの仕事は任せられない。もう来なくても良い」と告げたことがありました。「元の生活には戻りたくない。自分はMUYA(エチオピア語で、いいものを作る職人の意。敬意が込められた言葉)になりたいんだ。ずっと門番の人生なんて嫌だ。」と切々と訴えられ、もう一度チャンスを与えたのですが、そこから特に集中して上達したように思います。

そんな彼が、いよいよアシスタントを卒業することになりました。
ミシンもうまく使えるようになってきたので、一人でバッグをつくらせてみたところ、何度かの試行錯誤を経て、ついに合格を出せるレベルになったのです。

「MUYAの仲間入りした感想はどう?」と笑いながら聞くと「まだMUYAなんて言えないよ。もっと上手になる。エチオピアで一番上手な職人になるんだ。」と真顔で答えられてしまいました。
彼がこの先、どんな職人になるのか、私自身もとても楽しみにしています。